きままにイラン(2) [きまま旅]
イラン2日目.
旅の一番の目的でもあるペルセポリスへ行きます。
ま、無理やり設定した目的なんですけどね。
前日、シーラーズに着いてホテルにチェックインすると同時に
ツアーオフィスに電話して、申し込んでおきました。
シーラーズはテヘランから南へ約600km、ファールス州の州都です。
イラン内陸部はわりと標高が高く、シーラーズは標高1600mにある
人口百万の都市です。
朝、ホテルから歩いてツアーオフィスへ向かいます。
朝の通勤ラッシュをむかえ、通りは賑やかです。
イラン軍なのか革命防衛隊なのか分かりませんが、迷彩服の人もいます。
標高が高い割にそれほど寒くはありません。
気持ちのよい朝のひととき。
道端の売店。
いやいや、清々しい朝の風景を観察している場合ではなかった。
ツアーオフィスを探さなくては。
あ、ペプシ売ってる(本物かどうかは不明)
いかん、ペプシなんかよりツアーオフィスだった。
この辺のはずなんだけど、ウロウロ。
まずい、ツアーの出発時間を過ぎてしまった・・
割と古い車も現役で走っています。
結局、ツアーオフィスの前を何度も行ったり来たりしていたのに全く
気が付きませんでした。なんていうかドアが真っ黒だったし、ツアー
オフイスという感じが微塵も感じられなくて、分からなかったのです。
なんか店舗のドアがまっ黒なのは日差しの関係なの?
それとも中を見えないようにする文化なの?
モンガ「あのー、ペルセポリスツアー、もう出ちゃった?」
姉さん「あ、もしかして昨日電話してきた人!?」
モンガ「イエス」
姉さん「もうっ!、出発しちゃったよー」
だよね。 (´・ω・`)ショボーン
でもさすがにここまで来てペルセポリスへ行かない訳にはいきません。
高くつくけど個人ツアーのタクシーチャーターを手配してもらいます。
姉さん「じゃあ、ドライバー探すから30分したらまた来てね」
結局、ドライバーが見つかるまで小一時間かかりました。
・
・
・
まずやってきたのは、市内から車で走ること約1時間。
岩肌が垂直にそそり立つ一帯。
ナグシェ・ロスタム
ササン朝より古いアケメネス朝時代の王墓です。
断崖のお墓は十字に彫られています。
人と比べるとその大きさがよく分かります。
観光客はチラホラ
20分ほど見学して、王の墓を後にします。
走ること約20分。ついにやってきました。
世界遺産 ペルセポリス。
ペルセポリス遺跡は、アケメネス朝ペルシア帝国の神殿(の遺構)
アケメネス朝は紀元前550 年〜紀元前330年なので、もうかれこれ
2500年も昔となります。
ちなみにペルシアというのは現在のイランあたりを指す昔の言い方
なので、その時代を統治した王朝によって、アケメネス朝ペルシア
とか、ササン朝ペルシアとか言われるのですね。
チケット代150,000Rls(約600円)を払って入ります。
おぉ、さっそく神殿っぽいのがお出迎え!
でも残念なことに彫刻はことごとく頭部が壊されています。
イスラム教の偶像崇拝禁止で破壊されたのでしょう。
しかし原型を留めているものもちゃんと残っています。
すごいですね、2500年ものあいだ風化もせずに残るなんて。
ところどころ頭部が削られているものもありますが、レリーフは
思いのほかきれいに残されていました。
紀元前500年といえば、日本は縄文時代から弥生時代にかけてですね。
いかにこの地の文明(ペルシャ文明)が進んでいたのかが分かります。
当時はいったいどのような姿だったのだろう。
イラン航空のマークのモチーフとも言わている双頭の鷲。
これですね。
言われてみればそうかも。
小高い丘の部分に登って全景を見てみます。
当時まだいろいろ整備中のところも多かったのですが、
いまはもう見学し易くなっているかもしれません。
ふー、結構広いので歩き疲れた。。
遺跡から出ると、待ってくれているはずのタクシーを探します。
えーと、どこかな
またもやウロウロします。
ナンバー控えといたけど、車が多くて・・
あー、いました。良かった。
シーラーズ市街から60kmはあるので、置き去りにされても困ります。
ツアーオフィスを通しているのでさすがに置き去りは無いでしょうけど。
そして無事にツアーオフィスまで送り届けてくれました。
これでイランに来た目的は果たしました。
あ、お昼ご飯食べ損ねた。
旅の一番の目的でもあるペルセポリスへ行きます。
ま、無理やり設定した目的なんですけどね。
前日、シーラーズに着いてホテルにチェックインすると同時に
ツアーオフィスに電話して、申し込んでおきました。
シーラーズはテヘランから南へ約600km、ファールス州の州都です。
イラン内陸部はわりと標高が高く、シーラーズは標高1600mにある
人口百万の都市です。
朝、ホテルから歩いてツアーオフィスへ向かいます。
朝の通勤ラッシュをむかえ、通りは賑やかです。
イラン軍なのか革命防衛隊なのか分かりませんが、迷彩服の人もいます。
標高が高い割にそれほど寒くはありません。
気持ちのよい朝のひととき。
道端の売店。
いやいや、清々しい朝の風景を観察している場合ではなかった。
ツアーオフィスを探さなくては。
あ、ペプシ売ってる(本物かどうかは不明)
いかん、ペプシなんかよりツアーオフィスだった。
この辺のはずなんだけど、ウロウロ。
まずい、ツアーの出発時間を過ぎてしまった・・
割と古い車も現役で走っています。
結局、ツアーオフィスの前を何度も行ったり来たりしていたのに全く
気が付きませんでした。なんていうかドアが真っ黒だったし、ツアー
オフイスという感じが微塵も感じられなくて、分からなかったのです。
なんか店舗のドアがまっ黒なのは日差しの関係なの?
それとも中を見えないようにする文化なの?
モンガ「あのー、ペルセポリスツアー、もう出ちゃった?」
姉さん「あ、もしかして昨日電話してきた人!?」
モンガ「イエス」
姉さん「もうっ!、出発しちゃったよー」
だよね。 (´・ω・`)ショボーン
でもさすがにここまで来てペルセポリスへ行かない訳にはいきません。
高くつくけど個人ツアーのタクシーチャーターを手配してもらいます。
姉さん「じゃあ、ドライバー探すから30分したらまた来てね」
結局、ドライバーが見つかるまで小一時間かかりました。
・
・
・
まずやってきたのは、市内から車で走ること約1時間。
岩肌が垂直にそそり立つ一帯。
ナグシェ・ロスタム
ササン朝より古いアケメネス朝時代の王墓です。
断崖のお墓は十字に彫られています。
人と比べるとその大きさがよく分かります。
観光客はチラホラ
20分ほど見学して、王の墓を後にします。
走ること約20分。ついにやってきました。
世界遺産 ペルセポリス。
ペルセポリス遺跡は、アケメネス朝ペルシア帝国の神殿(の遺構)
アケメネス朝は紀元前550 年〜紀元前330年なので、もうかれこれ
2500年も昔となります。
ちなみにペルシアというのは現在のイランあたりを指す昔の言い方
なので、その時代を統治した王朝によって、アケメネス朝ペルシア
とか、ササン朝ペルシアとか言われるのですね。
チケット代150,000Rls(約600円)を払って入ります。
おぉ、さっそく神殿っぽいのがお出迎え!
でも残念なことに彫刻はことごとく頭部が壊されています。
イスラム教の偶像崇拝禁止で破壊されたのでしょう。
しかし原型を留めているものもちゃんと残っています。
すごいですね、2500年ものあいだ風化もせずに残るなんて。
ところどころ頭部が削られているものもありますが、レリーフは
思いのほかきれいに残されていました。
紀元前500年といえば、日本は縄文時代から弥生時代にかけてですね。
いかにこの地の文明(ペルシャ文明)が進んでいたのかが分かります。
当時はいったいどのような姿だったのだろう。
イラン航空のマークのモチーフとも言わている双頭の鷲。
これですね。
言われてみればそうかも。
小高い丘の部分に登って全景を見てみます。
当時まだいろいろ整備中のところも多かったのですが、
いまはもう見学し易くなっているかもしれません。
ふー、結構広いので歩き疲れた。。
遺跡から出ると、待ってくれているはずのタクシーを探します。
えーと、どこかな
またもやウロウロします。
ナンバー控えといたけど、車が多くて・・
あー、いました。良かった。
シーラーズ市街から60kmはあるので、置き去りにされても困ります。
ツアーオフィスを通しているのでさすがに置き去りは無いでしょうけど。
そして無事にツアーオフィスまで送り届けてくれました。
これでイランに来た目的は果たしました。
あ、お昼ご飯食べ損ねた。
コメント 0